【第5期】第1回 自己革新(午後)

第一回

自己革新(午後)

山本先生
午前中の話を聞いてどうおもった?

講座生1
いままで、ひとのことばかりを考えることが多かったが、何度も自分のことを考えるよういっていただいて、自分のことも大切なんだとおもえるようになりました。

講座生2
タイムマネジメント、自分のもっている時間をいかに大切に使うか。

講座生3
どうやって生活レベルに落としていくかを考えていました。反復が必要だということはわかったが、どうやって日常生活の中でおこなうか。

講座生4
時間をどう使うかで人生が変わる。お金の価値とイコールである。自分のいつもの生活にどう反映させるか、ということを真剣に試行錯誤していきたいとおもいました。

講座生5
キックオフの時の先生のお言葉「情報をいかに自分のものにするか」というのを頭において聞いていたけれど、タイムマネジメントを自分のものにするにはどうしていけばいいか。具体的に考えないと明日からの生活が変わらないし、苦しいなとおもいました。

講座生6
ビデオのなかの「苦手だという意識を大切におもうこと」。知らないということを認識して、自分をいかに高めていくか、というのを考えていきたい。

講座生7
自己統制がとれている状態が自由である、という考えに感動しました。

講座生8
チャンスはあるものではなくて、自分でつくっていくものだということに刺激をうけました。いかにそれを作っていく力をやしなっていくか。

講座生9
能力というものは、自分を知り、自分をプレゼンすること。自分主体であることなんだということを知りました。

講座生10
自分のことを大切に、大好きに、ということを今まで感じていなかった。これからはもっと好きになろうとおもいます。

山本先生
毎日、鏡を見てるだろう。そのときに化粧するだけで終わってるだろう。それはそれで大切だけど、ちがう視点で自分をみなさい。そして、冗談抜きで ’I like you!’ といってみろ。不思議と溌剌とするぞ。そのときに、ひとは自分のそばへ、そばへ来てくれる。お金払ってでも会いにいきたい、といわせるくらいにならんといかん。

自分が高いレベルにあればあるほど、ひとは認めてくれる。うん。「認めさせよう」じゃない。自らが自らの能力の価値を認めたときに、ひとは認めてくれるんだよ。自分の価値観を認めていない人間に、どうして認めてくれるだろうか、時間をくれるだろうか。くれやしないよ!「わたしの時間をどうぞ使ってくださいね」といわれるには、まず自らが自らの価値を認め、そのすべてを自分のものにしてしまう。
自分を認められた瞬間に、客観的な存在にたいしてgiveできるじゃないか。それまではまず、自分を確保することだ。確保して満ち溢れるようになったときに、はじめてgiveできる。中途半端なあいだは余計なボランティアなんかしてしまうと、自分がジリ貧になってしまう。ある程度の自信と環境とレベルに達したときに、「自分の時間を使おうか」「助けましょうか」という関係になるんだ。

‘Give’ is ‘To be give.’ 与えることは、与えられることになってくるんだ。くれ、くれ、くれ、と言わなくたって、自分がgiveしていれば、自然発生的にやってくる。みなさん方のなかで、「まだそんな能力はない」というひとは無理する必要はない。切磋琢磨して、自分の存在を高めていくという環境を早く、いまからでも、即、作らないと。「帰ってから・・・」じゃなくて、いまこの場で作るというmotivationをもってないと意味ないぞ。 「あとで、・・・」というのは嘘つきになるからな。「あとで、・・・」というひとは後でやってない。そこで、promiseするというbehaviorをしろよ。「やります!」’I do now!’

ぼくは’action now’という言葉が好きなんで、requestする。「あとでやってきます」ほとんどやってこない。そんなexcuseはno need。まだまだみなさんの能力のなかにはあるとおもう、excuseってものが。excuseを完全に削除できたらしめたもんだよ。excuseをなくすよう、いつも工夫するbehaviorがある人格の持ち主の処に、ひとは集まってくるんだぞ。

いま、みんなが収集できる情報、それはあるひとつの形だよ。ハートのある情報を集めてこないと、活きてこないんだよ。informationとintelligenceの違い、キチッとしてくれよ。同じ情報でもinformationレベルは「述べ、伝える」領域にすぎない。informationからintelligenceレベルにまでひきあげてしまうと、ぜったいに忘れられない。記憶のなかにしまわれるから、いつでも引き出せる。なおかつ最適なチャンスの中で。そういう繰り返しの環境を自分のなかに作れるようになったら、ひとは集まってくる、興味をもってもらえるんだよ。

興味をもってもらわなダメだぞ。賢さでも、明るさでも、個性でも、大きな声でも、なんでもいい。なにかもてよ。なにか見つけろよ。なにか気付けよ。そして、自分がいっぱいいっぱいになるまで、努力しろよ。簡単に「努力」するっていうな。

毎朝起きてなにかやる、そんなプログラムをもっているのは何人ぐらいおる。
(挙手)
みてみろ、こんなに少ない。目が覚めたらなにかをやる、という行動をもってほしい。体操でも、お風呂でも、なんでもいいから、即アクションをおこせるtoolをもて。それだけで、1日が変わってくる。持っているのと持っていないのとでは、その日1日の時間の使い方、価値の内容が全然ちがう。

OK。じゃあ、これからの時間、10人ぐらいのグループにわかれて人生論について語ってくれ。1人リーダーをきめて、終わった後に発表してくれ。

——グループワーク——

—発表1—
人生観の話をするなかで、共通するキーワードが3つありました。「挑戦すること」「ポジティブ」「明るく」。挑戦というのは、積極的に自分の考えていないこと、やったことのないことに身を投じることによって自分自身の枠、自分自身を広げていく。当然その中で、想定外のことがおきてきますが、積極的にどうやって楽しめるのか、「ポジティブ」に考える。そして、「明るく」。環境はなにをどうしても変わらないなかで、どうやって受けとめていくのか、明るくあることで、周囲にもいい影響を与えていく。これらを常に意識しながら、また新しいものごとに挑戦していく。以上が、このグループに共通していることでした。

山本先生
質問。あれば、なげかけてくれる?

質問1
共通点はわかったんですが、特筆すべき意見があれば教えてください。

回答1
みんなのキーワードは別々だったんですが、言葉をつきつめていけば先ほどの3つのキーワードに集約されました。

山本先生
他に。つっこめよ。あまいとおもうよ、3つのキーワードに人生観を集約したことが。Very, very easyだとぼくは判断する。時代のある種の反映だなあ。わたしの二十代の頃はあまくなかったんだけどね。名詞、形容詞で語られるなんて。だから、こうなってしまったのかもしれないけども・・・。他にない?

質問2
3つのキーワードをもっていないと「人生観をもっている」といえないのか。それとも、1つでももっていれば、「人生観がある」「楽しい人生がおくれる」といえるのか。家族にたいして笑顔で接せていられることが、わたしにとっては人生観なんですが。

回答2
なぜ、この3つに集約されたか。全員がどういう人間がわからなかったのかので、まずはそれぞれの人生観を語る上でのキーワードを3つあげることにした。なにが優先順位が高いのか、なにが充足していればOKなのか、という深いところまでは議論が進まなかったです。

—発表2—
人生論でどんなテーマで話したらいいかを初めに決めようとおもったがまとまらず、個別に話をすることにしました。共通していたのが、現実に身近な人が亡くなったというエピソードから、自分が死ぬまでのあいだに、なにができるか。時間を大事に、人生を大事にしていこうという思いにかられた方が何人もいた。そこから展開があって、あるかたの話。自分にルールをもっている。

1)ひとの役にたつ
自分が何かすることで、世の中にいい影響を与える

2)ひとに愛される

3)正直である
結局、正直であることがよかった

幸せをさがしてやっていく。まとめちゃいますが、死ぬ間際に自分の人生がどうだったか——ドラマのようにふりかえることができて人生に満足できる、そんな生き方をしたい。では、どうやって築いていくのか。つらいこともありながら、山も谷もあるなかで、生き抜いていくことを「いま」から意識して生きていく。そういう話になりました。

質問1
なぜ、人生観について話がまとまらなかったの?

回答1
最初、テーマが色々とでた。「目標に目指してやっていくことが人生観?」「日々、テーマにそって生活することが人生観?」ひとつにまとめることができないんでないか、となって、好きなことを話してみようとなりました。

質問2
難しいのは、いつ死ぬかわからないことだとおもう。「明日にでも」と考えるとは結果がでないから、いまは家庭を優先しようか・・・。「おじいさんになってから」だったら色々と成し遂げられるのかもしれない。どっちが大事なんですかね...

回答2
自分が経験していない50歳、60歳にたいして、どういうことを考えてやったらいいか。昔の偉い人の本を読むと、ある程度わかるじゃないですか。さっきのビデオにもあったけれど、——だれを目標にしたらいいのか——これをもったら良いんでないかと。自分がやろうとしていることと近いことをやっている過去の人の生き様を横に並べながらやればいいではないかと、わたしはおもいます。

山本先生
いまの質問、いい質問だね。

—発表3—
日本人をどうしゃべらせるか、インド人をどう黙らせるか——よく議論にあがりますが、このグループは非常に意見がでてきたので・・・・・・、つまり、うまくまとめられなかった、ということなんですが(笑)。カチッと共通した価値観——後悔したくないね——ということ。
生をなしたからには、かならず世の中にたいして意味がある。幸せになる。それをまわりにシェアをする。「ビジネスで成功する」や「日中間の架け橋になる」とか。やりたいことを見つけられている人、見つけられていないひと、いる。そのなかでも共通すること。「幸せになる」、これに尽きる。

質問1
幸せの定義とは?

回答1
バラバラなんですね。お金、家族とのつながり、働く価値観。わかりませんが、自分自身で見つけていくものだとはおもう。

質問2
幸せになるための方法について教えてください。

回答2
日本で働くことに疑問をもって、ヨーロッパを旅した方がいました。で、現地のひとと会話をするなかで、「働く」ことの意義を考えることになった。働くこと自体に意味をみいだしているひともいるし、家族との時間をすごすことに意味を見いだすひともいる。方法はひとによって様々だ、ということです。答えになってますでしょうか..

質問3
将来日本人として、globalにどうしていきたいか、という意見はでたか。

回答3
アジア共同体、日中の架け橋。外との交流をめざすと障壁としてでてくる移民問題や日本人が外に出なくなったということ。こういったものを解決していきたい、そのための活動はいったいどんなものか。そんな話はでました。

—発表4—
議論のなかででてきたことば——挑戦、仲間との絆、悔いを残さない。八人八様だったが、自分にとっての幸福を実現すること、これが共通するプラットフォームでした。実現する手段はそれぞれで自分で決めていくこと。他人が規定するものではない、という結論になった。共存する社会のなかで、他人の人生観をうけいれることが、重要である、というところで落ち着きました。

質問1
うけいれられない他人の人生観はないか。

回答1
この場では、なるだけ相手を否定しないという前提にたって「相手を受け入れよう」と努力しました。世の中には「これがぜったいだ」というのもあるが、「ぜったいではないんだ」という意識をもとう、そんなところだとおもいます。

質問2
幸福について、自分が「幸福だ」とおもうものと、他人が「幸福だね」と規定するものがあるとおもうが、どちらをさしていますか?

回答2
自分のなかからでてくる幸福のほうが、周りとの関係からでてくる幸福より多い気がします。

質問3
他人の人生観をうけいれることについて、どういった具体的なエピソードがでてきたのか。

回答3
いろいろありますが・・・。「死ぬかもしれない」というところまでさまようくらい、体が弱かった方がいた。「明日死んでもいい」とおもえるよう行動されている、そんなエピソードがでました。

—発表5—
キーワードは「幸福ライン」です。幸福はひとそれぞれ、お金、自由、やりたいこと。縦軸は「幸せ」、横軸は「死ぬまでの時間軸」。自分のラインをぐねぐねーって引いていって、ラインを超えていればいい。ひと、それぞれ。どういうラインを描くかが、人生観である、という話になりました。

質問1
どうやって、いま幸福ラインより「プラスである」と感じられるような先々のラインの描き方があるのか。「プラスだ」と判断できるのは、振り返った過去がいまよりよかったら、というとらえ方になるとおもうが。

回答1
先々の幸せラインを点線でかいて、こうなったら幸せという指標をきめておく。で、実際いまどうかを実線でかく。そうやって判断する..

質問2
たとえば、5年後に予想以上に上にあがったときはどうなるのか。

回答2
「超幸福」にあたるとおもうが、軌道修正が必要でしょうね。

質問3
なんで、「幸せライン」という形でまとめてシェアしようとなったのか。

回答3
わかりやすくしたほうがいいねと話になって、「幸福ライン」という概念がでてきた。ピッタリだね!と。

質問4
将来のラインはどこまでを考えるのか。

回答4
死ぬまで考えないとダメです。1年後、2年後、5年後、全部です。もちろん、やりたいことは変わってくるとおもうので、都度修正をいれながらですが。

質問5
ぼくは幸福ラインをかけないなとおもいました。たとえば、気分が滅入っていたらラインをかく気力もててこないとおもうんですが。

回答5
10日間ほど続けて、かいてください(会場から笑い)。更新していって、変わっていって、よいとおもう。

質問6
「幸福ライン」を実践されている方はいるんですか?

回答6
無意識と意識の部分、両方で自分の目標や価値をどんどん上にもっていく、という意味合いも「幸福ライン」には含まれている。回答になってますか..

質問7
「幸福ライン」の欠点をあげるとしたら、なにがありますか。

回答7
(欠点)だらけだとおもいます。実線が点線を下回ったときは、不幸とよべるのかも。

—発表6—
おしなべて各グループであったとおり、人生について話をすると、共通項がある。まず「死」があって、人生は有限である。いろんな価値観をもっている。いま生きていくためになにを目標にするのか。いまを後悔せずに生きていこう。いろんな考えが出てきた。
これまでの発表と違った点。それは、個人の目標は、幼いときは野球選手、サッカー選手になりたいなど「個人」にとどまっていて、なんら「社会性」を帯びていない。人生を経験するなかで、目標に社会性を帯びてくるんだ、という気づきがあったということ。大半のメンバーが多くのひとに影響をあたえたい、という目標をもっていた。個人性の強い方もいましたが、それでもやはり人生を重ねていくと目標そのものが社会性をもつようになってくる。また、目標のなかには自分自身が達成できること、達成できないことがあるね、となった。子供などの次の世代への継承にも話がおよびました。

質問1
人生の目標が徐々に社会性をおびていく、とても「なるほど」という発想。これを悪い面でとらえると、歳をとっていくと目標の選択肢がせばまっていく、ともいえるとおもう。みなさんは良い面、悪い面、どちらでとらえているのですか?

回答1
良いのか、悪いのかという話になりました。個人のやりたいことが大切だ。社会が求めることも大事だ。どちらともいえない。意見が出ましたが、個人的には、コインの両面のようなもので、個人も社会も両方ないと、成り立たないものだとおもいます。まあ、良いほうにとらえています。

山本先生
あえていうなら、まず「個人」だよ。「社会」は次で結構。ご自分のことができなくて、なにが「社会」だよ。自分のことができて、やっと社会性を帯びたことができてくる。不思議なもんだよ。社会性を帯びた環境作りのまえに、まず、自分のことを確保できなくちゃ。これはあとで話すけど。他ないかな?

えいたきさん
イチローが小学生の卒業文集に何歳までに大リーグにいくか、明確な目標と期限をきった。それは、山本先生がいうようにあくまで個人軸。そこから、プロ選手になることで、社会性を帯びてくる。オリックス時代の震災支援、アメリカに行って日本野球の可能性の提示。山本先生がおっしゃるように、まずは自分があって徐々に社会性を帯びる、というのは納得できますね。

質問2
日本の雇用慣習がglobal化によって変化しているなかで、いつ個が社会性を帯びていけばいいか、という議論はあったのか。

回答2
そこまで具体的な議論にはならなかった。「自分がしたいことをする」という個人性の強い考え方と「社会はこうあるべきだ」という社会性の強い考え方がふたつあって、あるべき姿はどうなのか。それは個々人が日々の会話や気づきの過程で変わっていきながら、確認していくものだよね、という話になった。

山本先生
良い質問したね。

—発表7—
社会との関わり、これがキーワードでした。ひとに恩返しをしたい、ひとが集まる場所をつくりたい、ひとを幸せにしたい。出てきた人生論は、社会とつながっている。こどものときは、自分が「こうなりたい」「これがほしい」だった。それが年を重ねるにつれて、「こうしてあげたい」「これをあたえたい」に変わっていった。

質問1
生まれてきた以上、自分を、だれかを、幸せにしたい。で、目標をもつわけですよね。人生論、人生観、なんのためにあり、いまそれを議論しているのか、自分のなかで整理がつかなかった。自分にとっては行動する上での柱。もし、なかったらどうなるのか教えてほしい。

回答1
生きる意味を探しているのかな。「こうしたい」「こうありたい」という生きる意味がないとつまんないし、鬱になる。生き甲斐を探しているんだとおもう。

割谷さん
生まれたときにはないとおもう。生きていくなかで創られていくもの、変わっていくものだとおもう。10歳のときと、30歳のときの人生観はちがう。10歳のときなんて、ほとんど考えたことがなかったし、20歳のときは向き合ったこともなかった。50歳のときは...わからない。そのときには孫もできるかもしれない、息子と死に別れることもあるとおもう。だから、最初からなくてもいいもんだとおもう。

山本先生
「いま、人生観はなくてもいい」という考え方であれば、そんなことはない。それは無責任だよ。いま、きみたちは社会人なんだ。「学生」をへて社会に出て、「自分の哲学はありませんが、社会に全然迷惑をかけてないからいいです」という考えであれば、わたしは否定する。

宇佐美さん
割谷さんがおっしゃりたかったことというのは、人間が人間たらしめるもの、人間としての尊厳をわたしたちは人生をかけて培っていくものだと、ということなんだとおもう。人間と動物をわけるもの、それが「尊厳」。生まれたばかりは動物かもしれないけれど、生長するにつれて人間になっていく。そういうことじゃないでしょうか。

山本先生
そう!うまいこというなあ。そうだよ。だから、社会人というpositionのなかで認識をもっていないといけない。ないと危険だ。究極的にいえば、IDがない企業は死んだも同然だ。成長している企業が理念や信条を大上段に挙げているのもそこだ。 個人でも哲学を掲げていなかったら、なんの意味があるんだよ。自分のIDという、自分の位置づけを検証できるtoolはもっていなきゃ。
非社会的な人生を歩もうとおもったら、哲学はいらないかもしれない。人間的に生きていこうとおもったら、哲学はないといかん。これはぼくの考え方だ。

長島さん
なんのために、人生観、人生論をもっているのか。自分が生きていく上で、どんな役割をもちあわせていくのか、それを整理したかった。ヒントをもらいたかった。

講座生
イチローは野球に出会ったから、いまの人生があるとおもう。彼がサラリーマンだったら...

山本先生

ぼくはちがうとおもう。たまたま、イチローはスポーツというメディアで主張しているにすぎない。かれの奥深くには哲学があるんだよ。そして、いろんな苦労や学習、出会いを通じて、哲学や社会性をおびた行動がうまれてきて、いまの生活がうまれてきている。かれは偶然、スポーツという手段がちかくにあっただけで、たとえサラリーマンだったとしても、自らの哲学を主張できるタイプだとおもうよ。

人間っておもしろくって、潜在的に養われたものをだせるひとと、だせないひとがいる。早くだせるひとは幸せ。死ぬ間際になってでるひともいる、わたしみたいに(笑)。いつだせるかは、それぞれの生き方、人生観、環境、目標などでいろんな「差」が生まれてくるよね。
「おぎゃー」と産まれ出たときには表にでてこないんだろうけれども、この人格のなかに哲学の核となるものは埋め込まれているとおもうよ。おそらく、父母のDNAで。それがあるタイミングで、満開に発露するのか、徐々に発露するのか。ひとによって大きさや浅さ深さはかわってくるとおもうけどね。

えいたきさん
なんで人生観を考えるのか。ひとがひとであることの可能性の限界、この限界をやぶっていかないと楽しくない。前提がふたつある、人間は社会的な存在である、人生は有限である。我々がおもっている以上に我々自身は社会性をおびている。かつ、必然的なあきらめとして次世代につなげていかなくてはならないという思いもある。この二つが、ひとの可能性の限界をやぶるんではないか。
社会性をどう実現するか=自分の人生、次の世代につなげる=子供や山本先生の場合こういった講座、なのかもしれない。これを考えていくことが自分の可能性をより高めていくことなんじゃないか。

溝口さん
最近の日本では、倫理観と宗教観がうすくなってきたのではないか。仏教の無我。我をなくすことは他者に尽くすこと、という精神が必要なんじゃないか、という話があった。自分が求めるものはなんなのか、なぜ生まれてきたのか、そういった倫理観を考えることは大事だとおもう。

川口さん
「人間であるために人生観を考える」というと、人生観を目的的にとらえてしまう。人生観を考えることは、手段に近いものなのか、生きることそのものなのか。山本先生はどう考えていらっしゃいますか?

山本先生
人生観とは目標を成就するための武器だよ。目標達成におおきく左右するエネルギーのもとだから。うちたてた目標に挑戦しようとおもうとき、自分がなんのエネルギーをぶつけるのか、その基本的な役割としての手段だ。生まれながらにして、神様から与えられたものだよ。そんなふうに理解したらわかりやすい。いや、宗教では・・というのであれば哲学的に理解したらいい。

生まれてきたなら、哲学なかったらあかんで。
哲学をもっていないというのは、いうなれば人間じゃないよ。哲学をもって、誠実に生きていこうとするときに、まさに社会性をおびたlife-styleを構築していくことができる。そして目標を徐々に、徐々に成就することができる。

—発表8—
人生を楽しみたい、それにあたっては仲間が必要だ。穏やかな人生をすごすにはどうするにはどうすればいいか、人との関係、努力も必要。収入とやりたいことのバランスをどうするか。人生は一度きり。いまの立場で自分の人生をもう一度選ぶ、というのはどうか。人生をぶらしたくない。いろいろ意見が出ました。共通していえるのは、自分の人生をどう表現するか、関わりのなかでの自分のブランドや存在をどう高めていくかということでした。

山本先生
質問ないか?ないみたいやね。

おそらくいままでの人生のなかで、今日のような議論をする場はそんなになかったんじゃないか。非常にめずらしい経験をしたんじゃないかな?職場や家庭で、お互いの人生観をdebateする機会はなかったんじゃないかとおもう。その意味で、今日は最高にchanceだったんじゃないかな。
この場には20代、30代、40代とそれぞれの世代がいるとおもうけど、もう一度、自分をふりかえって、かつ、これからの人生にたいして「いかにあるべきか」の思索、思考はぜったいに必要だぞ。・・・・・・ぜったいに必要だぞ。ご自分が掲げている目標がでかければでかいほど。globalであればglobalであるほど。何回も、何回も自問自答し、確認し、自らが自らでうちたてた目標にたいして、どれだけcommitできるかということ、これがものすごく大事だぜ。

いくらでもいえるよ、「俺はこうありたいな!」。その「ありたいな」というプロセスにはそれなりに、形であろうがなかろうが、要求されている課題、いっぱいあるからな。時間もあれば、金もあれば、スペースもあれば、色もあれば、あるいはいろんな天然資源のことが必要になってくるだろうし、requestされるtoolがあるぞ。そして、わたしは、あえて、みなさんにいいたい。いくつかの種類の目標は、かならず持ちなさい。その目標はぜったいに具体的であること。

抽象的な目標はぜったいに、成就しない!数字なら数字!形なら形!場所なら場所!ぜったいに具体的であること。家であれば3LDK、どういう間取り、どういうlocationなんだ。ひとつのキャンバスに描かれた絵のような目標でなかったら、成就しない。具体的であればあるほど成就しやすい。営業マンでもそうじゃないか。

自分の人生の目標でもそう。戦略的にアプローチしていき、成就しようとおもったら、具体的でなければいけない。おれはかくある目標のためにNew Yorkで半年!Parisで半年!Kenyaで半年すごす必要があるならば、なにが必要だ?!金や。どれくらいの時間までにつくらなあかんねん。きちっとしたスキームをつくる必要がある。

もう一度いうぞ。具体的であればあるほど成就しやすい!必要な努力がしやすくなる、関連する情報の収集もしやすくなる、関わる人脈のアプローチもしやすくなる。ものすごくeasy to catch upよ。具体的であればあるほど、周辺の諸材料、諸情報を集めやすい。ひとは、本能的に、具体的であればあるほど、努力しやすい!ものすごい具体的でない抽象的な目標には努力できない。excuseばっかり。
「いやあ、忙しかったなあ」
「こういうことをやっていたから、できなかったなあ」
もう、excuseばっかり!もう、minorityだよ。目標に着手できるchanceがなくなってしまうぞ。

だからわたしは大学生にもいう。目標をキチッとたてなさい。それも、具体的に。——博士とりたいです。いつまでにとりたい?どの教授とtie upするのか、いつまでに諸材料・諸資料が必要なのか。いかなくてはいけない場所はあるのか、それはどこなのか。韓国のソウルなのか、そこで3ヶ月生活しなきゃいけないのか。


ぜったいに具体的であることをすすめる。わたしの生き方をふりかえってみてもそう。具体的であればあるほど、成就しやすい。どんな企画でも細かく、to doを一枚の紙にしたためる。それをひとつ一つ、つぶしていく。この講座もそうだ。3年続くためのプランニングをやった。だれのhelpも求めない。独りで、だ。あのパルミサーノさんの論文をよんで、ブルブルブルとふるえて、この場をたちあげた。で、5年続いている。すごい自信やねん。自信よ。この講座を続けられた、自分の生き方そのものにたいしても。ものすごく具体的に経験できている。
そして、synergyがでてきた。国内はもちろん、近辺の外国からもいろんなproposalをうけるようになった。大学の先生仲間もおもしろいくらいにいっぱいできてきた。門外漢のぼくが学会にまで喚ばれた。で。偉そうに話させてもらった。この前も、南京までいって話してきて。84人、全員、大学の先生。すごいsynergyがある。

第一回目で自己革新というおおきいテーマで話した。

まず、自分たちひとりひとりが具体的な目標をもち、達成するためにidentityをもつ。identityがなんなのか、考えろ!1日15分でもいいよ。それを一週間、2週間。自分でまとめられるようになるまで、頑張れ。まとまらないのであれば、たとえば本屋にいって、立ち読みしてこいよ。Smart phoneで情報を集めてこいよ。ぼくらの時代とちがって、お金がなくったって、情報を即座に集められるじゃないか。
わたしなんか、「このひととなにがなんでも会いたいなあ」とおもっても、格安のチケットを探すの大変だったよ。あの当時は大変だった。そういう手段をえながらでも、行動におこしていった。

こうして出会えたのもひとつの「縁」だ。英語でいうと’providence’。宗教用語でいえば「摂理」だよ。会うべくして、会った。そして強烈な、あつかましいじじいだけども、どうぞ付き合ってくれ。
なにか発見できるはず。わたしも発見するよ。そして、遠慮なくとるからね。反対にきみたちもとれよ。10人前後の優秀な講師、喚んでるから。やっぱり月一回だけども、ここにくる意味を自分なりに整理して、かならずなにか掴んでいけよ。catch upしていけよ。せっかく、ここにくるためにエネルギーと金と時間をつかっとるんだから。その何百倍の価値を創出するための1日にしろよ。わかったか?(はい!)声低い。わかったか?(はい!)そこ、声が出てない。わかりましたか?(はい!)Good!