第四回

人財と組織(午後)

2つ目 サラリーマン生活40年のなかで、大事だなとおもったことの紹介

Open Sourcingという言葉。

何故、英語で書いているか?仕事の関係で、アメリカ人のビジネスマンとつきあいがあるんですが、彼の力をかりて英語で考えをまとめることをしている。一番整然としたものができあがりやすい。ふだん日本語をつかっているわけだけど、自分の考えが曖昧だったんだなと気づく。だから、できるだけ英語をつかっている。なぜ、わざわざひとに聞くのか。わからない言葉がでると辞書をひくわけだけど、彼に聞くとおもいもよらない単語を紹介される。辞書をひいてでてくる単語のなかでどれをえらんだ方がいいか。単語でニュアンスがかわってくるので、私は身近なネイティブに聞いています。論理回路をより正確にしていくためには、英語はいいツールです。

日本における人的資本の調達、かなりクローズな世界になっている。私はこれではダメだとおもう。できるだけ同質の人間を採用しようとしているのが現状。ほんとうにそれでいいのか。それから、日本人はグローバルな人的ネットワークを張るのが下手ですね。このなかで、どれだけいらっしゃいますか?いつでも電話1本で議論できる外国人の友を複数もっているひとは?
(挙手)
できるだけ多くの人と知り合うべきですし、重要なことです。海外拠点をつくるうえでも非常に重要です。ダイナミックなビジネスポートフォリオにあわせた人材ポートフォリオの設計。変わらないと生き残れない。ダーウィンじゃないけれど、いかに適応能力の高い組織をつくるか。まず、人材の流動性を確保しないと、多様性を保ちえない。どうすればいいか。単機能じゃダメだし、多機能化しないといけない。それでもおいつかないときにどうすればいいか。
Release and Re-recruit。日本では育成して退職されたら「退職率があがって問題だ」となる。クローズな世界。ではなくて、退職者を応援すること。——自社出身者が積極的に外部で活躍することはいいことだ、——外で自ら勉強して自社にもどってきてくれるんなら、こんなにいいことはない、そう発想する。リスクも犯さなくて、教育コストもかからないんだから、出戻りはいいじゃない。なんで、退職者を罪人扱いするんだと。コストとリターンを考えるとクローズな世界に閉じ込める事は、損はあっても得は少ないと私は考えるわけです。

アメリカでは新卒はほとんどなくて、経験者採用。いろんな制度をミックスさせないと。リリースするときは、FA宣言させましょう。育成してある程度自社を理解してもらったあと、FA宣言したら、エンジェルファンドから資金を投資するから——みたいな発想をもっと積極的にもっていいんじゃないか。期待できる見返り効果はなにか。

1)人的グローバルネットワークができる
2)海外拠点もできる
3)自社出身者の評価が高まれば、自社の評価も上がる

ITの世界では、IBM出身者がいろんなポストについていますよね。IBMの採用と教育ってすごいなとおもわざるをえない。会社にとってよいこと。お客様の立場にたったら、自社を心地よくでていくような会社、そして、それでも高いレベルを維持できる会社にたいして期待をもてるんじゃないでしょうか。そういう人材を集めるためのスポンサー授業とか、方法はいろいろとある。コマーシャル費用を考えると安いもの。授業から自社にあった人を選べるし、必ずしも採用につなげなくてもよくて、大学との関わり合いができるわけです。

広い意味で従業員というものを考えましょう。大学にいる人にたいして、授業などを通して会社のブランドを高めていく。そして、会社を理解して入ってくれる人が増えてくる。Linked inのような枠組みを活用してもいい。セミクローズな情報展開をしてもよい。入社後に、会社のロイヤリティをどうやって形成するか。たとえば、中身のあるしっかりした教育をしてくれる、幅広く経験させてくれる場である。キャリアパスも自分にとっていい形で選べる——この発想のもとには、会社とは、人材を囲い込む場所ではなくて、「育成する場」であるという考えがあります。
「自立します!」という話になったときに「どうぞ」といって出資すれば、100%子会社を海外につくることができる。100%出資しているんだから、できあがった商品も取り扱えるわけです。独立した元社員が最適な状態で活動できる場で起業をしやすいですから、セカンダリーネットワークができるわけで。なにも気にせずに海外拠点ができて、まわりを固めてくれる。コアとなる拠点ができるわけです。起業した社員のなかから「もどりたい」というひとがいれば、起業経験を積んでかえってくるわけで。私は送別会の時に、かならず「いってらっしゃい」というようにしている。かえってきたら「おかえりなさい」という(※1)。出る、戻る——企業にとってもメリットは多いはずです。閉じる、守る——これは企業の寿命を短くすることと「=(等しい)」とおもったほうがよいでしょう。

※1
まだまだ浸透していませんよね。ぜひ、みなさんにもやっていただきたい。こんな社会を実現してほしいですね。

Q1:スポンサー授業とはどういった形を想定されていますか?

なんでもいいとおもうんですね。私たちであれば、ITに関するものとか。たとえば、知識を生み出す授業をしてくれるなら、2年間で2・3億だしましょう、そのかわりちゃんと教授がついてください。そのなかでいいひとがいたら紹介してね、とか。お金をだすかはcase by caseでとおもいますが。東大はじめ日本でも徐々に浸透していますね。

Q:なかなかスポンサー授業に人的資本をさけない現状がある。どう経営層を説得できるか?

今は、多くの経営層は短期的なコストカットにしか目がいっていないことが多い。なぜコストカットすることになってしまったのか——世の中の変化に適応できない組織をつくってしまい、かえられないから。同じようなことをしないためにどうすればいいですか?と質問を返せば、スポンサー授業にたいしてすこしはわかってくれるかもしれないですね。ねばり強く説得をつづけることです。

携帯、PCはたまたiPad——こういったものがでてくると、「独り」でいられるんですね。それからAmazonのようにrecomendされたものを買うことになれてくると、「本当に自分が何を買いたいのか」わからなくなってくる。recommendation機能はあくまで膨大なデータを処理して表示するアルゴリズムにすぎない。思考回路がこわれてきたというフェーズに今いるんですね。
その、ひとつの表れとして感情表現の希薄化。2006年にのった記事。電車にのると半分は携帯かゲーム機をみて何かやっているよね。携帯端末で新聞読んでいるというのは見たことない。こまるのは満員のとき。端末を見るために、ある程度のスペースが必要になってくるから、まわりに関係なしに、迷惑ともおもわずにスペースをつくろうとする——毎朝一回はこんな情景をみてました。自分の世界にはいっていないと、耐えられなくなって、キレやすくなる。社会性が減退している現象がおきているわけですね。いまはほとんど無くなってしまった、向こう三軒両隣、という感覚。日本の強みだったはずなのに平気でどっかすっとんでいっちゃった。
おなじ世界にはもどれないとおもうけれども、日本のよかった点を取りもどす必要がある。社会的道徳、CSR、いろんな解釈があるが、日本には「三方よし」の考えもある。目先の利益ばっかりをむさぼっちゃいけませんよ、ということ。わすれてませんか?どうしてCSRという横文字をつかわないといけないのか。どうしてですかね、日本には昔からあったのに。いつ消えていったのか。大学卒業するまでに教わらなかったでしょ? 不必要な干渉は嫌だけれど、新たな形での「日本のよさ」をつくりなおさなければ。この精神的基盤がなければ、open resourceなんてものはとてもとてもできないとおもいます。

少なくとも、いろんなバブルを産んできた過剰な通貨量にたいしてなんら調整ができていない。つまり、どこかで通貨がたまっているわけで、なにかおもしろい事業がはじまれば、過大評価されて、簡単にバブルがおきやすい環境下にあるんじゃないか。だから、安心するのはまだ早い。そんななかで、日本の立場だけで考えてはダメ。「知」を根本的に考えなおし、ほったらかしにするのでない。知を形式化・顕在化することで、知識社会をちゃんと築きあげていくという意識が重要だとおもいます。

会社=場、これは私の考え方。おしつける気持ちは全くありませんが。場をつくる——ひとが才能を花咲かせる場をつくるというのが重要だし、多言語・多文化・多民族を意識する。アメリカに赴任したといったけれど語学は堪能ではありませんでした。帰ってきてからおもうのは、これからはバイリンガルではなくトライリンガルでないとダメだよね、ということ。マルチタレント化のひとつだとおもう。通訳になるんじゃないですよ、意思の疎通ができるか、ということです。

以上の発想のバックボーンとなるものを紹介します。経験からうまれてきたものです。

同一である可能性はありますよね。平面でみるとちがいますが、立体空間だと?回転させると?一緒にみえるかもしれない。多面的に物事をみてください、という例です。

30秒以内にかききれないと一気飲みしなさい、といって飲み会でやるともりあがりますね(笑)。いいたいのは、一番上の段は「口」という字のまわりになにかがくっついている。一定の法則があるわけです。空間のとらえ方。発想が外に出ていくのか、なかにいくのか、外に突き抜けていくのか。。。知らない字はないはずです。
これ、一回使ってみてください。店が喜びます(笑)。

10g以上10kg未満といっても問題ない。世のなかでつかっている数字は、存在可能領域が決まっているものがおおい。一番の問題は存在可能領域の幅をいかにちぢめていくか。

N次元の考え方です。存在可能領域はそれぞれにありますが、これをいかに絞り込むか。ブルーのなかは研究して縮めていく努力。それから、その不確実性のなかからストーリーをつくりあげるんだと決断する意識——これらが必要だし、もつことで責任ある回答をしめします。現実は「幅」だと常に意識すると、世の中気楽になるもんだということです。

中学のときにやった5W1H。例題はかなりいいかげんに書いたのでもうちょっとブラッシュアップしないといけないんだけど・・・。下記文章にふさわしいひとなのか、ご自身を文章に代入して書いてみてください。「right」という言葉を意識してかけているひとはすごいですね。大体は何かが欠けているか、無視している。
アメリカにいたときに無理な買収をしたことがありますが、提案する社長さんが「我々は正しいときに、正しいことをするだけだ」と自慢げにいった。その言葉を拡張しただけ。一番大事なのは、「だれが、なにを、なぜ」を定義すること。「なにを、なぜ」が定義できないと説得できない。けっこう、ぼけています。よくふだんの業務をおもいかえしてください。よく「どうやって」の部分、つまり手段にたいして悩んでいることが多いんじゃないかな。そうじゃなくて、「なんで」。やんなきゃいけないことをふまえて、ちゃんとやれてますか?という問いかけです。 これを書けるようになったら、すごいものですよね。私も100%そうだとは書けません。5W1Hは時間とともにかわっていく。常にブラッシュアップしていくものだとおもいます。「なにを、いつまでに」が書けないと、負けですよね。よくかみしめてください。するめより長持ちするとおもいます。

意志があるからといって「できる」とはかぎらない。できるはずなのにできない。個人として?組織として?意志はあるけれどできないならば、やっぱり何か問題があるんです。そんなことを考えると色々と解けることがある。
自分が何を知らないか、ということを知らないといけない。必要十分条件をみようとしているかが問題で。できるだけ十分条件に近いものをみていないといけない。すると自分とのギャップが見える。自分が、組織がいま何をしなければいけないかを発見するために、あるべき姿を論じて現在の領域をみていく。その目線を常にもっていてくださいというメッセージです。

いまあることをしたほうがいいのか、しないほうがいいか。それぞれのリスク、逆につかってないでしょうね。「いま、めんどくせ。やりたくねえ」というひとは後でしっぺ返しをくらうだけで。やらないことのリスクは考えていないわけです。ignorance managementに近いかも知れませんが、自分が逃げていることがあぶり出されてくる。憂いなければ、備えられる訳ないのですから。そういう時代ではありませんね、今は。

社会にでていろんなひとと議論するとなぜ揉めるのか——お互いに「天動説」をおしつけようとするから。お互いに同意をもとめるケースが多いですね。同じことで、海外から日本を見てみると、日本がいかに特殊な世界なのかよーくみえます。それをバーチャルに考えられますか?マーケットの立場から自分をみるのと自分の立場からマーケットをみるのとではちがう。まったく見方が変わってきますよ。これは自分自身にたいしても。お客様にたいしても同じ。
数学的な平均値というのは、そこで取り扱われている要素を代表していないケースがおおい。平均値にあわせようとすることが何を意味するのかを考えてください。平均値にあわせることで個性を殺すこともあるし、自由度をさげてしまうリスクもある。
LocalとTotalを二律背反のようにしゃべるひとがいる。学生のうちはそれでいいかもしれないけれど、社会人になったらそれじゃダメで。各Local要素のポートフォリオをどうかえてくるかで、Totalの値は変わってきます。全員に同じ指示をだすのではなく、Localを崩さない程度に、Totalをあげていかなくては。ゼロサムの議論に終始しちゃうんだけど、それは言い訳と無駄な時間をうみだすことになる。

手紙を書いていた時代につかわなかったようなどうでもいいやりとりが、メールでは多いですね。アメリカにいったときに感じたこと。電話会議をするにも時間帯が気になる。ランチタイムに会議をいれられるとたまらないよね。ひとが時差や移動時間を意識せず、状況を共有し、意志決定できる——この使い方だとメールは非常に便利な道具。日本ではそこまで有効活用できているんでしょうか。きらいなひとと接触しないためにメールをつかう——そんな冷たい関係に一役買ってしまっている。メールがあるからメールをつかうんじゃない。メールがないとコミュニケーションできない環境にあるからつかうんだぞ、ということ。

現場にいたときにいわれました。「きみよく働くな」といわれた。「いいか。『人が動くと書いて、働く』というんだ」つまり、結果だせてないぞ、まわりを動かせてないぞ、というお叱りの声ですね。こういう風にして自分より若いひとをいじめないようにしてくださいね(笑)。いってることは正しいよ。忙しくて考えているひまがないですね、というのはこの類。タイミングを失ったら価値ないんですね。自分が社長で「やってくれ」といったことが期限通りにできなかったらたまんないでしょ?個人、組織の問題でもある。

新陳代謝。ポートフォリオをかえていく。世の中がかわってから自分もかえる、では負け。そのときには相手は次の一手を考えている。後出しじゃんけんだと勝てない。よく考えてほしい。経営効率の向上。情報をいかにはやく末端まで流通させて活用させるか。もらうだけじゃなくて、情報をもとに意志決定をしていく。コンサルタントがつくった造語。Information Velocity。なぜウォールマートがかったのか。情報の活用のタイミングが全然ちがったんだね。

経験と論理。意外とできていない。「Why」を5回くり返しなさい。私は5回のWhyの最後はWhoだとおもいます。人災が圧倒的だとおもう。現象におわらず、原因追及をできているか、という問いかけをしてほしい。でないと対策がまったく無意味になるし、事故が再発する。原因が人間だったらどうするか。かえるしかない。プロジェクトを何回も失敗させる人間は、なにをやっても失敗します。極端にいっていますが、もうそれは人をいれ替えるしかない。
変化疲労。世の中の変化は加速していくはずです。対応するのに疲れたから、休ませてくれといって思考停止になるひと。年齢に関係なく、変化への対応に疲れるひとは脱落だとおもう。気力も、体力も大事です。私の年になると、体力に裏付けられた気力というのも重要になってくる。お酒にたよらないようにしてください(笑)。

「韓国なら、私にまかせてくれ。10年前におなじようなことをした」というひとがいた。10年もたてばなにもかも変わりますよ。やめてくれ、そんなのは無意味だと。ずーとアップデートできていないなら「私は知っている」とはいっちゃいけない。大間違い。世のなかは常に変化しています。
予知能力——「なんかあぶなさそう、やばそう」とおもうときは大体当たりますよね。勘じゃないんですよ。非常に短い時間のなかで、過去の経験を整理して、論理的に物事がみえてくることがある。経験をつむほどにでてきますよね。
迷ったら原点にもどれ。「いきずまったら」でもいい。大体、WhatとWhyを忘れている場合ですよね。道が遮断されて目的地にいけない。どうしよう。「行く」ことを考えるんですね。何をしたくてそこにいくの?わかっていれば、迂回路を考えればいいだけのはなし。いくべき所をめざして選んだ道が正しいとおもったら行き詰まったわけで、別の道を設計しなければいけない。迷ったら、この言葉を思い出してください。多くは「なにを、なぜ」を忘れていたときにこうなります。手段の実現ばかりに目がいくとこうなっちゃう。
焦らず、弛まず。食い散らかしはよくやってしまうわけですね。何かから逃げつづけていると、必ずどこかでまとめて悪いことがふりかかってくる。

「良い頭」というのは皮肉がはいっています。昭和44年の傾向としてこう書かれたことがある——Small World(狭い世界で物事を考える)、information(情報がないと動けない)、Simulation(悪い結果ばっかり想像する)。この傾向はもっと強くなってきているんじゃないかな。悪い人生経験を積み重ねていくと、こうなっちゃう。頭が良いから、馬鹿なことをしない。そうじゃなくて、しっかりした意志をもってどんなときでも思考停止にならない頭をもってほしい。そのなかでInformationとSimulationは大事です。ただし、Small Worldのなかでやらないでください。

富は天然資源から国民がもつアイデアにうつることを日本は証明した。アイデアはどうやってつくるのか。必ずしも新しい組み合わせだけではないとおもうけれど、組み合わせと関係付けは重要だね。資料をあつめて、整理をする。

最後に体調管理。ほおっておくと大変なことになります。

東洋は分類から、西洋はアルファベットから百科辞書ができている。思想と文化のちがいがありますね。

私のもっている問題意識、情報活用の問題点。インターネットの普及がものすごいインパクトをあたえて、非常にたくさんの情報を利活用できるようになった。暗黙知の知の形式化→公共利用というながれになってきた。もう一つは、意志決定プロセスをどうするか。

考えないといけないのは、核心と環境。問題点をつついても逆の反応しかでてこないことがある。問題を定義している環境要素をみないと、本質的なアプローチができないことがある。ある意味で、intelligenceという活動に似ているので、新しい形のBIだと考えています。
さきほどもあったけれど、部分最適と全体最適の両立。二律背反でないようにしなければいけない。以上を考える裏付けとなる文章。

ずいぶん前からいっているが、B2BとB2Cのビジネスモデルの壁が消えた。ライフサイクルの変化がものすごくはやくなってきた。New normalということば。「安定する時代にもどれることはない」というひとがいる。まちがっていればそれでいい。もどったら、昔のものをだせばよいのだから。でも、本当に戻れなかったら?

人口問題は国という壁のなかで考えるものではない。人口流動が進んで、人種のマッシュアップはすすんでいるけれど、なかなか統一がとれていない。ヨーロッパは移入出民が多いんですね。アイルランドはジャガイモ飢饉のときに大量の移民を輩出しました。それが、世界で初めてのコールセンターなど、グローバルビジネスのきっかけをつくっているんです。日本は移出民、移入民ともに相対的にすくない。そうとう立ち遅れていますね。

象徴の貧困化。象徴とは人間のことをさします。いまの時代にあったIT技術の使い方、マルチメディアに対応しないと。なれるのはよいけれど、おぼれてはいけない。気をつけてください。

現実→未来の発想だと、「改善」「改善」となって変化が遅い、問題の根本的な解決には結びつきづらい。むしろ未来をみて、現実とのギャップを埋めるためのイノベーションをうみだしていく。規制があたらしい発想、イノベーションを産みだす可能性もありますね。

今は、活版印刷の発明、産業革命という非常に大きな変革に相当する時期で、本当の意味での情報革命とでもいえる時代です。毒にも薬にもなる情報を、どう使いこなすかが大切で、皆さんは、正にそれをする時代に運よくいる訳ですから、自分達が変革の主体だと認識して、新しい、素晴らしい世界をつくっていって下さい。